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篠原村
【ささわらむら】


旧国名:肥後

(近世)江戸期~明治8年の村名。上益城(かみましき)郡のうち。笹原村とも書く。阿蘇外輪山南東部,見岳山の北西,緑川の支流笹原川下流沿いに位置する。地内から弥生時代の突帯文塗彩・重弧文長頸などの土器が出土する。永禄年間に笹原丹後守の居城であった笹原城跡がある。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」136石余,「正保郷帳」も同高でうち田88石余・畠48石余,「天保郷帳」136石余,「旧高旧領」182石余。「肥後国誌」では,もと中島手永,のち矢部手永に属し,高181石余,神社は天神社。「国郡一統志」には地蔵・天神・古城・滝などが記される。文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,庄屋は次助,高181石余,年貢率3割9分,反別は田5町4反余・畑4町4反,竈数19・人数90うち男42・女48,牛26・馬39(綾部家旧蔵文書)。矢部手永惣庄屋布田保之助により当地域の灌漑用に築かれて嘉永元年に完成した石磧は,川幅24間,長さ10間で,現在も残り,裏面の石垣を亀の甲のような形に組んであるため通称カメ磧という(矢部町史)。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同8年小笹村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7225388