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敷川内
【しきがわち】


旧国名:肥後

八代(やつしろ)平野南部,九州山地の西麓に位置する。地名は,一の川内から四の川内までの4つの谷が合流して河内の里を流れるため四来川内と称したといい,これがさらに地名となったという(金剛村沿革史)。縄文時代の五反田貝塚および五反田古墳があり,仿製捩文帯鏡をはじめ,勾玉・管玉・須恵器などが出土する。また三官からは平安期の須恵器(蔵骨器)などが採集されている。丸山には地下式板石室をもつ丸山古墳群がある。敷川内神社は古くは杵築大明神杵築宮と称され,建武2年名和義高の勧請と伝える。天正15年に豊臣秀吉が薩摩の島津義久を攻めるために当村を通過した時の道筋を太閤越と称したといい,現在も地名が残る。天正16年小西行長により敷川内神社は焼却されたため,小祠を建てて祀ったという(八代郡誌)。
志紀河内村(中世)】 南北朝期に見える村名。
敷川内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
敷川内(近代)】 明治22年~昭和29年の金剛村の大字名。
敷川内町(近代)】 昭和29年~現在の八代市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7225458