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山田
【やまだ】


旧国名:肥後

小岱山の南麓,菊池川に注ぐ境川上流域に位置する。一帯には広く弥生式土器の散布が見られ,北西の字保多地には古墳時代末期の横穴式石室墳5基や平安期の須恵窯跡があり,集落内や南西谷越しの字高岡・糠峰にも古墳がある。隣接地立願寺に玉名郡衙があったためか,高頭(たかがしら)には須恵の住居跡もある。山田日吉神社境内に県天然記念物の藤があり,同社から南へ600mの参道が続き,入口には仁王像がたつ。参道の両側に天台宗吉祥寺や白山宮があった。天正12年兵火にかかって一山焼失したという。集落の中央東に陳内があり,その東には十六という地名が残り,この小さな谷間にも条里制の痕跡がうかがわれる。大野別符地頭大野国隆の屋形は南東の高岡にあったと伝える。集落の北東に高城,南の入口の西に五郎丸の地名がある。鎌倉期と推定される年月日未詳の肥後国山北西安寺石堂碑文(相良家文書/大日古5‐1)によると,相良宗頼の領地のうちに「玉石(名)郡之内……山田村六丁」と見えるが,同碑文は検討を要する。玉名市山田の吉祥寺跡にある建長4年7月28日の年紀を有する吉祥寺宝塔(肥後読史総覧)には「右造立志者為東山田地主比丘尼戒念成仏得道□又法界衆生平□(等)利益也仍如件」とあり,東山田の地主比丘尼が宝塔を造立している。当地の吉祥寺について,江戸期の「肥後国誌」によると,吉祥寺山田山多門院と称し,和銅元年に吉祥上人が開基となり36坊を有し,延暦寺末寺で繁根木八幡宮の社僧が勤めたとしている。地内の保多地には虎御前塔と称する建長2年5月16日の年紀を有する古塔がある(肥後国古塔調査録)。
山田村(近世)】 江戸期の村名。
山田村(近代)】 明治7~22年の村名。
山田(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7228185