雪野
【ゆきの】

旧国名:肥後
菊池川支流迫間(はざま)川上流域の河岸段丘上に位置する。古くは育野とも称し,「肥後国誌」によれば,寛文年間頃郡吏が「いく」と「ゆき」の訓を誤り雪野となったという。赤松岳に五社尾城跡があり,城平の地名が残る。また城の上方は赤松寺跡と伝え,巨大な五輪塔が散在するほか,城の東側の谷には菊池武朝が開山して菩提寺としたという真徳寺跡がある。なお同寺の五輪塔が散在する付近に,正平4年2月30日の年紀を有する台石があり「一結構衆卅人敬白」と刻まれている。これについて「続肥後国古塔調査録」は,建武2年4月3日の菊池武吉寄進状写(阿蘇文書/大日古13‐2)に「毎年恒例三十講料」とあるところから,同文書と結構衆30人との関連を指摘している。
【雪野村(中世)】 室町期~戦国期に見える村名。
【雪野村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【雪野(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228214 |




