横手
【よこて】

旧国名:肥後
球磨(くま)川下流右岸と前川右岸の沖積地に位置する。球磨川と水無川(日置川)に挟まれた低地で,灌漑用水が縦横に流れる。地内の洗切は貝塚として知られ,須恵器や土師器が出土する。洗切については,「八代日記」天文15年7月1日条に「あらいきりにて桐(洞)雲始銀吹候」とあり,銀の精練が行われたことが知られる。銀は当時珍重なもので,同年と推定される7月12日付の相良義滋書状(相良家文書/大日古5‐1)には「寔吉兆,千喜万祥,珍重々々,仍銀石之事,大工洞雲へ見せさせられ候,但州石にも勝候之由申候歟,満足此事候」とあり,珍重された様子が記されている。また「八代日記」永禄5年6月3日条には,剪が洗切で作られた旨の記事が見え,金物関係の技術者がいたことがわかる。なお昭和56年に行われた洗切遺跡の発掘調査で,古代から中世にかけての土師器・須恵器・土錘・鉄器・鉄滓などを豊富に出土し,古代の鉄器生産の伝統が中世にまで続いたことがうかがわれる(洗切遺跡調査報告)。
【横手村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【横手(近代)】 明治22年~昭和15年の大字名。
【横手町(近代)】 昭和15年~現在の八代市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228271 |




