吉尾
【よしお】

旧国名:肥後
球磨(くま)川の支流吉尾川中流域の山間部に位置する。地内中央の山は吉尾城跡と伝え,「肥後国誌」は城主について「相良家臣吉尾大学永禄ノ比ヨリ在城,其子塩山浅之助迄相続シ子孫今民間ニアリト云」と記し,山腹にある安政6年建立の墓碑によれば,大学は永禄6年3月25日に没し,室は同10年7月7日に没したという。市居原に鶴の湯という湯泉があり,昔,ここで1羽の鶴が傷ついた脚を癒していたため,村人が行ってみると温泉が湧いていたという民話も残る。
【吉尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【吉尾村(近代)】 明治22年~昭和29年の葦北郡の自治体名。
【吉尾(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228279 |




