勝光寺
【しょうこうじ】

大分市大字竹中に所在。豊後国大分郡戸次(へつぎ)荘のうち。曹洞宗永平寺派。山号は南陽山。大野荘下村の勝光寺を,檀越である戸次氏がここに移したというが,康永4年4月26日の勝光寺院主職安堵状(志賀文書/大野荘史料)には,「大野庄下村内勝光寺院主職事」とあるので,これ以後の移転であることは明らか。4月28日(文明9年)の大友政親書状の前後頃から「勝光寺」の名が現れ,同寺の僧が大友氏の使僧として上洛し,幕府との連絡・接衝に当たっている(大友家文書録)。その僧名には,光幢・光らが見える。幕府の大友氏に対する命令も勝光寺を通して伝達していたようで,一種の渉外使節というべき存在であった。大友親治は勝光寺領・万寿寺領に対しては,諸点役を免許している(志賀文書)。勝光寺僧の渉外使節としての活躍は,大友義鎮(よししげ)の永禄3年頃まで続く(大友文書)が,次第に妙厳寺・光照寺などが現れる(大友家文書録)。天正14~15年頃の10月19日付大友義統代官職預ケ状によると,「戸次庄之内,勝光寺之事,連々辛労之条,可申与之由,雖申出候」とあり,戸次荘の勝光寺が衰微したらしく,真光寺寿仙に代官職を与えている(勝光寺文書/県史料26)。勝光寺僧の活躍時代は過ぎ去ったらしい。大友氏が勝光寺僧を重用した理由は不明であるが,あるいは戸次氏が奉公衆であった(禰寝文書/大友史料9)ことと関係があるかもしれない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7231024 |