神角寺
【じんかくじ】

大野郡朝地町大字鳥田字神角寺の神角寺山(750m)上に所在。豊後国大野郡大野荘のうち。古義真言宗。山号は如意山。寺伝では,欽明天皇31年に新羅の僧が来て,観音の金像を感得,一宇を建立して安置した。桓武天皇の時,彦山・白山・山王3所の権現が影向し,天台宗に属した。醍醐天皇の延喜年間に山城醍醐寺僧聖宝が来て宝殿・堂宇・子院36区を興し,真言宗に属して西海高野と称せられた(豊後国志)。建久7年大友能直が,豊後守護職兼鎮西一方奉行に補任されて入国した時,豊後大神(おおが)一族で大野荘の荘司であった大野泰基が謀反を起こし,当山に籠って抗戦したが,敗れて自刃した(大友興廃記)。ただし大野荘地頭職ははじめ中原親能が帯し,のちこれを養子の大友能直に譲ったものであり(志賀文書/大友史料1),能直が泰基を討伐したとする伝説は信じられない。なお泰基の反乱自刃の伝えも,従来これを証明するものがなかったが,「石志文書」に豊後大野九郎(泰基)が謀反を起こしたこと,その討伐に肥前国の御家人までが動員されたことが判明し(鎌遺1738),その真実性が証明された。つまり泰基の討伐は中原親能が実施したもので,源頼朝から大野荘地頭職に補任され,これを養子能直に譲渡したものである。泰基の墓と伝える宝篋印塔が山上にある。泰基の反乱で山上の堂宇は兵火にかかり,応安2年に大友氏が6坊を建てて復興したが,のちまた荒廃して東北2坊を残すのみ(豊後国志)。現在東ノ坊のみが残り,本堂となっている。本堂は明治40年に特別保護建造物,昭和25年に国重要文化財となり,山は神角寺芹川県立自然公園に指定され,観光地となっている(大分県の文化財)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7231140 |