代後浦
【だいごうら】

旧国名:豊後
(近世)江戸期~明治8年の村名。豊後国海部(あまべ)郡佐伯(さいき)荘のうち。佐伯湾の湾奥海岸部に位置する。慶長6年以降佐伯藩領。同年当時は戸穴(ひあな)村,のち海崎(かいざき)村に所属。村位は上(位付)。村高は同年20石余,うち田5石余・畑12石余・屋敷2石余(戸穴村指出之帳),「正保郷帳」20石余,「見稲簿」では高なし村,「天保郷帳」では海崎村750石余のうち,「旧高旧領」31石余。慶長14年「戸穴海崎与水夫屋敷之高帳」には当村水夫屋敷10が見える。文化7年の家数81・人数404(温故知新録)。同年3月8日伊能忠敬が当浦を測量(九州測量日記)。明治4年大分県に所属。同8年笹良目(ささらめ)浦と合併して霞ケ浦(かすみがうら)村となる。現在の佐伯市大字霞ケ浦のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7231365 |