藤北
【ふじきた】

旧国名:豊後
大野川の支流茜(あかね)川の上流域大野町と北の大分郡野津原町との境をなす雨乞岳(755m)・烏帽子岳の南斜面の山岳地帯から裾野の丘陵地帯を占める。大野荘の中心をなす地域で,字勝光寺には鎌倉初期大友能直の墓堂が設けられ,それに接する字尾崎の通称「とまりごう」には泊寺と,能直妻深妙の逆修墓堂が建てられていた。大友一族にとっては当地が精神的中心であり,泊寺には豊前九郎能基を僧として入寺させ,その跡は志賀能郷の庶子禅季を僧として継がせた。字常忠寺にある寺庵常忠寺の五輪塔を,能直墓とするのは信じられないが,当地では能直夫妻が居住し,ここで死去したと信じられているほどである。
【藤北(中世)】 南北朝期~室町期に見える地名。
【藤北村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【藤北(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7233099 |




