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油津港
【あぶらつこう】


県南部,日南市油津地区にある昭和27年指定の重要港湾および第3種漁港。日南市市街地の東岸にあり,日向灘に突出する大節鼻(尾伏の鼻)に東部を遮蔽される湾内に位置する。県南部最大の流通拠点港であり,沖合い漁業・近海漁業の基地でもある。港内の東側が商港,西側が漁港となっている。港湾施設は,商港部分が,(―)7.5~(―)3.0m埠頭891m(12バース),(―)7.5~(―)5.0m岸壁200m(3バース),(―)4.0~(―)3.5m物揚場405m(7バース),(―)5.0m係船岸230m(3バース),(―)4.0m石油基地埠頭60m(1バース)。漁港部分が(―)5.0~(―)3.0m岸壁1,001m,(―)5.0~(―)0.5m物揚場746m,(―)4.0~(―)3.0m中央突堤441m。入港可能な最大船舶は,5,000DGTである。年間入港船舶数は,1万3,287隻・76万5,781総t,うち外航商船の占める割合は,隻数の20%,トン数の7.4%。年間取扱貨物量は,86万3,065tで,内訳は移入70%,移出24%,輸入5%,輸出1%。主要移入品目は石油類(46%)・重油・木材・セメントが多く,移出品目は紙・パルプ(64%),重油・木材・食料・工業品が多い。輸入品目はチップ(59%)・非金属鉱物・砂利・砂・石材で,輸出品目は原木である(昭和58年港湾統計)。登録漁船185隻(1,227t)で10~100t漁船は15%を占める。属地陸揚量2,488t・陸揚高16億2,700万円。属地陸揚量に占める地元漁船の割合は34%である(昭和57年港湾統計)。主要漁業は,沿岸マグロはえなわ業(57%)・あぐり網業・近海カツオ一本釣り業が主体で,マグロ(53%)・カツオ・カジキ・サバ・シイラ・トビウオの水揚量が多い(昭和57年水産統計)。油津は,古来,天然の良港として知られており,既に奈良期頃から遣唐船の寄港地,室町期には天竜寺船に薪水食糧を供給する中継港として,唐織物・陶磁器などが交易されたという。藩政期から飫肥(おび)藩の外港および四浦の1つとして重要な地位を占めるが,近世油津港発展の基礎は,貞享3年竣工した堀川運河(延長900m,広渡川=油津港)によって,飫肥藩の特産弁甲材(飫肥杉)の輸出・移出港として位置付けられたことにある。「日向地誌」にある油津港は「東西十町南北十一町四十間 干潮深四仭三尺 満潮ニハ六仭ニ至ル……一ケ年出入船数大約二百五十艘」と記され,当港を擁する那珂郡平野村にある船舶数は「千石以上運船三艘五百石未満二百石以上運船五艘二百石未満五十石以上運船八艘五十石未満運船百七艘」とある。明治27年県費支弁港に編入,同37年大阪商船の定期航路開設で港勢が高まる。大正6年国内最初の指定漁港,全国6港の1つとなり,昭和5年指定港湾へと進展する。その間,大正7年から同13年にかけて,防波堤・岸壁・物揚場などが修築され,近代的港湾としての港形が一応形成された。昭和13年日本パルプ日南工場(王子製紙日南工場)が操業開始し,その製品・原料の輸出入・移出入港として重要性が高まる。加えてマグロ景気で繁栄し,同26年第3種漁港に指定,遠洋漁業基地として機能の整備強化が進行する。当港の最大の悩みは,後背圏の狭さとされる。そのため牛の峠経由の国道を改良し,県南西部の都城・小林商圏を当港に結びつける構想が進められ,また,同51年に,同65年を目標年次とする油津港湾計画が決定し,大油津港建設が進行中である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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