椎木
【しいのき】

旧国名:日向
小丸川下流右岸の沖積低地と洪積台地に位置する。地名の由来は,地内の中椎木に大将軍と呼ばれた森があり,そこに椎の大木があったといわれ,これが椎木の地名のおこりではないかという。地内の岩淵大池にはオニバスが自生し,昭和8年県天然記念物に指定された。地内には百合野古墳群・陣の内古墳などがあり,昭和14年川原(かわばる)・高城(たかじよう)所在の古墳とともに木城古墳として県史跡に指定された。陣の内にはかつて円墳9基が所在したが,第2次大戦後の開拓によって現在は1基しか残っていない。字比木に鎮座する比木神社は,社伝によると仁寿2年の創建といわれるが,詳細は不明。中世に見える比木方(肥木方)の地名と密接に関連する神社であると推測されるので,古い創建であることに間違いはなかろう。祭神は大己貴命・三穂津姫命・事代主命・宇迦之御魂命・須佐之男命を祀り,また伝説によると百済から亡命した福智王を合祀する。南郷村神門神社には福智王の父禎嘉王が祀られており,毎年12月には比木神社から神門神社への御神幸が行われる。これは年に1回父子が対面する里帰り神幸祭といわれ,2泊3日(昔は9泊10日)の神幸である。なお,同社の縁起「日州児湯郡高鍋比木大明神本縁」によれば,古くは火棄・火卉と書いたが,近郷にたびたび失火があったため,仁寿2年に比木に改めたといわれる。また,肥木とも書いた。比木の地名は,弘治2年の年次を有する「土田帳」と呼ばれる史料には「妻万(社)領 御代官格護之分」として「一所新納比木方之内 長門之内」と見え,また「比木方」のうちとして小津留・大薗・比木車・大丸などの小地名が見える。この史料は承応3年および正徳2年の奥書を有する江戸期の書写であるが,伊東氏全盛時代の領内神社領の構造を知り得る史料であるという(飫肥伊東家文書/川南町史)。下って天正19年の「日向国五郡分帳」に「肥木方 百町」とある。比木方とは,小丸川左岸の現在の木城(きじよう)町から高鍋町にかけての地を含んで呼んでいたらしい(同前)。「日向地誌」は,「日向国風土記及ヒ天正十九年日向国郡分帳ニ比木方百町トアリ,他ノ村号見エス,正徳ノ頃郷村帳ニ至テ比木方ノ名号亡ヒ」とし,比木方から分かれた近世村として高鍋村・上江(うわえ)村・市ノ山村・高城村・椎木村・持見村・川原村・板屋村・鹿遊(かなすみ)村・石村の名を挙げている。
【椎木村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【椎木(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7235119 |




