神門
【みかど】

旧国名:日向
小丸川の上流域に位置し,周囲は九州山地の一部をなす500~600mの山々に囲まれる。集落は小丸川両岸に沿って散在し,16の集落からなる。地名の由来については,大化の改新後に百済王禎嘉帝が当地に逃避し,その帝(みかど)にちなむとか,あるいは禎嘉王がもってきた大きな甕を御瓶(みかめ)と呼んだことにちなむとかの伝承があり,また江戸期以前にあった3つの門(かど)を合併して村が成立したためはじめ三門と称したことによるとの説もある。地内の円墳2基からなる南郷古墳は県史跡。1基は字小路に鎮座する神門神社の裏手の山にあり,指定面積165a。この古墳は豪族益見太郎の墓と伝えられ,「どん太郎塚」ともいわれる。益見太郎は,百済から亡命した禎嘉王の後を追ってきた新羅の軍勢を破り,禎嘉王を助けたと伝承される。もう1基は,この古墳から東南へ約3kmの字下名木の水田中に所在し,径約6.5m・高さ1mのもので,禎嘉王の墓と伝えられる。神門神社に伝存する板絵着色観音菩薩御正体と銅鏡33面は県文化財に指定され,また百済王の持ってきたといわれる須恵器の甕など多数の宝物を蔵している。板絵着色観音菩薩御正体は,杉材の一枚板(縦81.6cm・横34.8cm)に彩色で観音座像1躯を描いたもので,裏面の墨書銘により応永8年三門(神門)大明神の御正体として描かれたことがわかる。銅鏡33面は,17面が奈良期の唐式鏡,ほかは古墳時代4面・平安期4面・南北朝期2面・室町期3面・江戸期3面とされ,すべて出土の痕跡を認めない伝世鏡である。古墳時代の仿製鏡は半円方形帯神獣鏡・六団花蔓文鏡・鋸歯文神獣鏡,奈良期の唐式鏡には伯牙弾琴鏡・海獣葡萄鏡・宝相華唐草文六花鏡・唐花双鸞八花鏡・双麟双鳳鏡,平安初期の唐式鏡には瑞花双鳳八稜鏡,平安期以降の和鏡には籬草花鳥蝶鏡(平安期)・社頭双雀鏡(南北朝期)・菊花散双鶴鏡(室町期)・蓬莱鏡(室町・江戸期)がある。また,地内には神門領主那須将監が築いたという星原城跡が残る。
【神門(中世)】 戦国期に見える地名。
【神門村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【神門(近代)】 明治22年~現在の南郷村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7236065 |




