米良
【めら】

旧国名:日向,肥後
九州山地中央部,一ツ瀬川上流域の山間地に位置し,1,000m級の山々が連なる。この山々は九州山地のなかでも米良山地と総称され,標高1,500m前後の市房山・石堂山・天包山の米良三山を中心に樋口山・空野山・烏帽子岳など険しい山並みをなす。市房山・石堂山と熊本県境に沿う山地は,昭和57年九州中央山地国定公園に指定された。河谷が険しいV字谷を形成しているため,長らく交通が阻害されてきた地域で,集落は山腹の緩斜面の南面に散在し,古くは焼畑農業を営んだ。当地には大山祇命の娘磐長姫をめぐる伝説が広く流布する。すなわち,磐長姫は,自身が醜女で,絶世の美女だった妹の木花開耶姫がニニギノミコトの妃に迎えられたため,悲嘆のあまり一ツ瀬川をさかのぼって米良山中に入り,小川(児湯(こゆ)郡西米良村)において自ら田を作り,実り豊かな収穫を見て「ヨネヨシ」(米良し)と喜んだことから米良の地名が生まれたと伝える。のち間もなく磐長姫は小川の淵に身を投じて死んだ。同地に社を建てて磐長姫を祀ったのが,小川の米良神社(旧郷社)の始まりという。当地を支配した米良氏は,15世紀の初め頃,肥後の菊池氏が懐良親王の子松丸(良宗重次)を奉じて入山したのが始まりと伝え(諸説あり),当初竹原(西米良村)元米良に居住したので米良を称し,山中14か村を領有したという。本拠は,元米良から銀鏡(しろみ)(西都市),村所(西米良村)へ転々とし,江戸期には小川に居住した。当地一帯には米良神楽と総称される神楽が伝えられ,西米良村域では児原稲荷神社奉納の越野尾神楽,米良神社の小川神楽,村所八幡神社の村所神楽,狭上稲荷神社の狭上神楽をはじめ上米良本山神社・横野産土神社・竹原天満宮・板谷山之神社などで行われ,旧東米良村域(西都市)では銀鏡神社奉納の銀鏡神楽をはじめ尾八重神楽・打越神楽・寒川神楽などがある。基本は33番構成で,12月に夜を徹して奉納される。狩り面行事などは狩猟習俗を伝えるものとして注目され,椎葉神楽・高千穂神楽とともに古い山間宗教芸能を現在に伝えている。このうち,銀鏡神楽は米良神楽の名で昭和52年国重要無形民俗文化財に指定され,尾八重神楽は同56年県無形民俗文化財に指定された。また,西都原資料館に収蔵されている東米良の狩猟用具(一式29点)は昭和32年国重要有形民俗文化財に指定されている。
【米良(中世)】 戦国期に見える地名。
【米良山(近世)】 江戸期~明治22年の地域名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7236219 |




