安永
【やすなが】

旧国名:日向
都城盆地の北西部,大淀川の支流庄内川流域に位置する。地名の由来は,北隣の中霧島に鎮座する安平権現の名にちなむという(山田町史)。西部には国天然記念物の甌穴群で有名な関之尾滝がある。地内各所で古墳が発見されている。古くは島津荘のうち。島津忠久の孫下野守忠宗の六男資忠が,足利尊氏より諸県(もろかた)郡のうち北郷300町を与えられ,資忠は正平7年11月はじめて鹿児島より移り,薩摩迫に館を構え,以降235年の間北郷氏の所轄となった。その後,文禄4年伊集院右衛門大夫幸侃が豊臣秀吉の命を以て,北郷氏に代わり,一時その管下に属したが,幸侃の子忠真は其の主島津氏に反して誅せられ,再び北郷氏の領地となる。
【安永(中世)】 戦国期に見える地名。
【安永郷(近世)】 江戸期の郷名。
【安永村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【安永(近代)】 明治22年~昭和31年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7236249 |




