北方?
【きたかた】

旧国名:大隅
黒園山の南麓,川内(せんだい)川上流右岸に位置する。中世の当地一帯は栗野院北里と称されており,地内に栗野北里城があった。鎌倉・南北朝期を通じ,北里は島津・北原・畠山各氏のほか,真幸院・菱刈院・牛屎院・相良氏などの勢力の接点として,栗野院一帯の中心地であり,栗野北里城をめぐる攻防がくり返された。観応3年7月には,島津道鑑が懐良親王の令旨を奉じて「薩摩国凶徒并所々悪党等を引卒し,大隅国隈本城・栗野北里城」を逐落しており,そのため畠山直顕は同月20日付で姫木弥四郎・同五郎四郎・同十郎・調所彦三郎らに軍勢催促状を発している(道鑑公御譜・調所氏敦恒伝など/旧記雑録)。
【北方村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北方(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237261 |




