串木野
【くしきの】

旧国名:薩摩
櫛木野とも書く(南山巡守録追加)。北から東の一帯は八重山山塊,西は東シナ海で甑島(こしきじま)に面し,吹上浜の北限にあたり,海岸線は約20kmに及ぶ。地名の由来に3説があり,郷社冠岳神社の祭神櫛御気命より起こるとも,串木野の宗社猪田神社の神を,奥州胆沢郡(いざわこおり)(岩手県)より招請のとき,五反田川に臥木(ふしき)が横たわり一行をはばんでいたが,翌朝目ざめると臥木は跡形もなく,一同「ふしぎのう」とつぶやいたことによるとも,葦の生い繁る湿地を指すアイヌ語によるともいう。薩摩郡樋脇境に接する冠岳は,紀元前210年,秦始皇帝が方士徐福を東方蓬莱に遣わし,不老不死の薬を求めるよう命じたとき,徐福仙境にわけ入り,自らの冠を納めたところといい,紫の紐を納めたところが紫尾山(しびさん)であると伝えられている(紫尾神社縁起)。冠岳には用明天皇の勅願所として,蘇我馬子建立の興隆寺(のち頂峯院と改め,24代宗寿のとき天台宗から真言宗となる)があり,西岳・中岳・東岳に熊野三所権現を招請。冠岳神社はその東宮である。排仏毀釈により,今はその礎石をとどめるのみであるが,開山阿子丸仙人より63代快屋に至る住持の墓は,頂峯院西側の段丘や清流花川のほとりに,坊主墓として現存している。
【串木野(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【串木野郷(近世)】 江戸期~明治22年の郷名。
【串木野村(近世)】 江戸期の村名。
【串木野町(近代)】 明治12~22年の町名。
【串木野村(近代)】 明治22年~昭和10年の日置郡の自治体名。
【串木野町(近代)】 昭和10~25年の日置郡の自治体名。
【串木野市(近代)】 昭和25年~現在の自治体名。
【串木野(近代)】 明治22年~昭和29年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237344 |




