宝島
【たからじま】

旧国名:薩摩
薩南諸島中央部,吐噶喇(とから)列島に位置する。無人島の横当島を除けば,吐噶喇列島最南の島で,奄美大島まで90km,鹿児島から366km。地名の由来は「三国名勝図会」に「往古,七島の総名を吐火羅と云ふ。吐火羅は即ち宝島也。後世に至て,七島中の一島の称となれり」とある。浜坂遺跡下層からは縄文晩期の土器が宇宿下層式土器や八重山式土器とともに出土,上層からは弥生中期の須玖式土器が出土する。大池遺跡からは,沖縄の浦添貝塚の土器とよく似た,浜坂遺跡のものより古い土器が出土している。宝島郡司の平田氏の系図は,その祖を平資盛の子資宗として,源平の戦乱の中で七島に逃れ来たとしており,7代の宗重は永享の頃,琉球に渡り,以来,薩摩より琉球へ渡る船の嚮導を勤め,宗継が慶長14年の琉球出兵で嚮導に当たったとしている。また観音洞には,「郡司蔵助,船頭寿金,天正十四年」の銘を刻んだ石像があった(三国名勝図会)。「七島ノ墓碑,仏像,元亀天正ノ頃ニ在テ其面目ヲ改メタルモノノ如シ,之レ同時航海業ノ盛ナリシ頃ナラン」とある(拾島状況録)。
【宝島(近世)】 江戸期~明治41年の村名。
【宝島(近代)】 明治41年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7238135 |




