蓬原?
【ふつはら】

旧国名:日向
堀内ともいい(元禄郷帳・天保郷帳),不門原とも書く(旧記雑録)。菱田川の下流西岸に位置し,北部はシラス台地になっている。菱田川右岸の火山灰台地末端の中野・重田・楠原・馬場に縄文時代の石器・土器および弥生時代の土器が多く出土する。古墳は馬場の台地上に地下式横穴群が発見されている。当地は建久8年の日向国図田帳には見えないが,一円荘救仁郷160町の城元で,島津忠久の支配下にあったと推定される。蓬原城は初め菱田川下流右岸の片平にあったが(太宰管内志),のち上流の馬場の河岸に移され,城主救仁院平八成直が廃せられた後,代々救仁郷氏が居城,北方約200mにある金丸城もその属城であった。救仁郷氏は初め源姓であるが,のち伴姓肝付氏と婚して救仁郷氏を称した。延文4年島津氏久によって攻略されて,城主頼世は敗死,弟の朝元法印が大崎飯隈山飯福寺別当となり,代々繁栄して現在も救仁郷を名乗る家が多い。「島津国史6」には「齢岳公自将撃荘内,相良氏軍戦于国合。我軍敗績……公求於手取城主岩川某,某懐両端観望,又請於蓬原城主救仁郷某,某亦不肯。公已帰鹿児島,旋復挙兵北征,先攻蓬原城下之」と記されている。なお,地内の熊野神社は救仁郷氏の氏神として,北国より勧請したと伝え(蓬原外城終始由緒覚),その神舞は延宝頃より始まり,県無形民俗文化財となっている。
【蓬原(中世)】 戦国期に見える地名。
【蓬原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【蓬原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7238990 |




