100辞書・辞典一括検索

JLogos

40

山下町
【やましたちょう】


(近代)明治12年~現在の町名。郡区町村編制法実施に当たり成立。明治22年からは鹿児島市の町名。江戸期は鹿児島城下士屋敷,主として上級武士の居住区域で城に最も近かった。町名も城の背後にある「城山」の麓に位置することに由来し,明治以降は県庁の所在地として,また市制施行と同時に市庁も置かれ行政の中心となった。「県地誌」によれば,西南は平之馬場町,東北は長田町,東は中町・六日町・易居町に接する。神社は照国神社・招魂社。師範学校(生徒数男146人),同付属小学校(男106人・女37人),女子師範学校(生徒数95人)ほか,軍鎮鹿児島営所・戸長役場・農事社・鹿児島授産場などがある。鹿児島授産場は明治13年の開設で,年間生産量は筆7万4,950本・素麺1,580貫余・傘5,575本・雑紙2,435束・燐枝1万打余・櫛1万本余・竹細工693箇・挽糸185貫余・織物439反・足袋2,028足など。明治15年鹿児島新聞社,同25年市庁舎竣工。鹿児島県尋常中学校,第七高等学校造士館,鹿児島第一中学校などが相次いで開校。明治10年代の戸籍簿による戸数1,100,うち士族422・平民678,職業は無職41・不明437・農業16・雑業507・医師4・官公吏3・軍人2・僧1・附籍2・工29・大工3・錫工1・紺屋1・鍛冶2・仕立物1・理髪1・洗濯1・袋物職1・商30・小間物2・反物1・挑灯1・金物1・下駄1・煙草3・古物1・古金道具1・印判1・米穀1・菓子1(鹿児島市史)。世帯数・人口は,大正11年846世帯・6,062人,昭和10年905世帯・5,444人。同40年一部が城山町・名山町・照国町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239402