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横瀬
【よこせ】


旧国名:日向

志布志湾西部沿岸,田原川河口右岸の平坦地に位置する。地名の由来は志布志湾に面する地形によるものか。海岸砂丘は松林に覆われており,その内側に前方後円墳の大塚古墳が,付近には神領古墳群・天子岡古墳群などがある。また,地内には大崎城(竜相城)があり,中世には同城をめぐる合戦がくり返された。田原川下流右岸には仮宿台地の末端が南東方向に突出した部分があるが,その南の突端が井出田と呼ばれ,北方の突端が竜相である。はじめ大崎城本丸は井出田にあったが,後中心は竜相に移った。築城の年代は不明であるが,文明初年高山の肝付兼光が,この城を修め付近の天子山を中心として大崎城と称したという。南北朝期から戦国期にかけて,救仁院・救仁郷の地は,島津・楡井・肝付・豊州家島津・北郷・伊東氏らの和戦抗争が続き,救仁郷においては蓬原・胡麻崎(仮宿)・大崎・野卸各城の争奪がくり返された。弘治2年8月の豊州家島津忠親と肝付兼続との大崎城攻防戦は大崎城史上最も激烈を極めたもので,守将肝付兼続は敵豊州忠親軍を,田原川左岸椎ケ島益丸一帯に迎え撃ったが,多勢に押されて竜相城に入り,わたうち川(田原川)の険を扼して堅守。この時蓬原地頭大野出羽守,肝付方薬丸弾正,百引城主猪鹿倉丹後守らが戦死した。天正5年肝付氏の没落によりこの地方はすべて島津義久の支配下に入り,その部将比志島美濃守国守が,大崎の初代地頭となり,馬場に仮屋を構えて新大崎城と称し,天子山の旧大崎城は廃城となった(大崎町史)。
横瀬村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
横瀬(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239475