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大枝村
【おおえだむら】


旧国名:琉球

(近世)王府時代の村名。八重山島古見(こみ)間切のうち。西表(いりおもて)島の東部,後良(しいら)川の河口付近に位置する。「両島絵図帳」では高323石余。崇禎元年(1628)の三間切制移行時の村の書上げに村名は見えず(八重山島年来記/県史料前近代1),石垣間切花城(はなぐすく)村に統轄されたと考えられる。「由来記」に見える花城村のうちのシタツ御嶽・ヲカ御嶽はともに現在古見小字大板に所在する(県文化財調査報告書70)。乾隆2年(1737)の調査報告では古見村に属し,人口365で,村廻り14町44間とある(参遣状/喜舎場家文書)。康煕17年(1678)には,それまで大船は黒島で建造していたが,この年から古見船は大枝村で造ることになった(八重山島年来記/県史料前近代1)。後良川に架かる大枝橋は,康煕35年に木橋を架けたが未完成に終わり,同54年に御蔵夫2,750人,公役夫380人を投じて完成させた(県文化財調査報告書69)。「橋よば節」(八重山島歌節寄51/歌謡大成Ⅳ)は大枝橋の建造を謡ったものという(八重山歴史)。首里王府の許可を得て人夫を寄せ,女性は石を運び,男性が石を積んで堅固な橋ができたと謡う。村落名は明治期まであり,明治期の「人頭税賦課基本台帳」は三離・平西2か村と合わせ,村位は布・石ともに上位とある(八重山博物館蔵新本家文書)。現在,古見にある小字名は大板という。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240028