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狩俣
【かりまた】


旧国名:琉球

方言ではカズマタ(ズは中舌音)という。宮古島の北部に位置する。村は,大城御嶽の女神豊見赤星てたなふら真主が,東方の島尻当原に天降りして,男女を生んだのが始まりと伝える(御嶽由来記/平良市史3)。この村立てからの発展の過程は「狩俣祖神のニーリ」に謡われ(ニーリ1/歌謡大成Ⅲ),大城御嶽の親神祭で謡われる。血縁集団や村の草分けに当たる本家をムトゥ(元)といい,祭祀の中心となる。狩俣には9つのムトゥがある。代表的なユムトゥ(四元)のうち,大城元は村創世の神,仲間元は航海や旅の神,志立元は五穀の神,仲嶺元は水の神を祀るという。古謡では,志立元は「しだでぃ」と謡われ,ほかに大城元の分家「まいにゃうふや(前の家大家)」も謡われている(タービ24・フサ16/歌謡大成Ⅲ)。「頂の磯金のタービ」には,頂の磯金が日本から青鉄(銅)を持ち帰り,鍛冶を始めた地として,「まふきゃジー(真向か地)」が見える(タービ23/同前)。狩俣には古歌謡が多く,その中に小地名・山名・岬名・干瀬名が頻出する。16世紀初めに,仲宗根豊見親が八重山平定に出兵したときの「同人(仲宗根豊見親)八重山入の時あやこ」に「かりまたのミなこ地のざもりや」「か禰屋大津ゝの主津かさ」などの人名が見える(雍正旧記/平良市史3)。与那国島に売られた鬼虎の出生地といわれる(宮古嶋記事/平良市史3)。「宮古嶋記事」には「こまらはひ」と記された妖術使,小真良波按司の屋敷跡が伝えられる(平良市史3)。
狩俣間切(近世)】 王府時代の間切名。
狩俣村(近代)】 王府時代~明治41年の村名。
狩俣(近代)】 明治41年~現在の字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240288