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尖閣諸島
【せんかくしょとう】


八重山諸島の北部に位置する諸島。石垣島の北方海上130~150kmに点在する無人の島嶼群。魚釣島・久場島・南小島・北小島・大正島・沖の北岩・沖の南岩・飛瀬などの小島や岩礁からなる。諸島全体を総称する方言名はないが,俗にイーグン・クバジマという。イーグンは銛のことで魚釣島を指し,クバジマはクバ(ビロウ)の生い茂る久場島を指し,諸島を代表する名称として呼ばれてきた。地学的に見ると八重山諸島は,太平洋と東シナ海を分ける琉球列島に大半が属するが,尖閣諸島は東シナ海大陸棚の東縁をなす。このため自然地理上からは尖閣諸島と八重山諸島は区別されることが多い。総面積は5.48km(^2)で魚釣島(3.80km(^2))が最も大きく,次いで久場島(0.87km(^2)),南小島(0.35km(^2)),北小島(0.31km(^2)),大正島(0.05km(^2))となっている。久場島は尖閣諸島中で唯一の火山島で溶岩や軽石の分布が見られるが,他の島や岩礁はほとんどが第三紀八重山層群の礫質砂岩や第三紀に噴出した角閃石安山岩からなる。また,島の周囲の海岸低地には隆起サンゴ礁がある。地形はほとんどの島が急峻で,岩山が屹立し,垂直な海食崖で取り巻かれているのが特徴である。尖閣という名称もこの特異な地形に由来する。北上する黒潮の一部は尖閣諸島海域を横切って東シナ海に流入し,大陸棚の沿岸流との間の潮目が形成される。このためカツオをはじめとする回游魚が多く,好漁場をつくっており,魚釣島の名称もそのことに由来するといわれる。魚釣島と久場島には森林があり,クバの群落をはじめ,シロガジュマル・タブ・リュウキュウガキ・ウラジロエノキなどが生育している。魚釣島における固有種としてセンカクオトギリ・センカクアオイ・センカクツツジなどがある。そのほかにオオタニワタリ・イリオモテラン・リュウキュウセキコクなどの着生植物,モンパノキ・クサトベラ・フタマタメヒシバ・ミズガンピ・ハママンネングサなどが生えている。尖閣諸島は海鳥類の繁殖地としても知られ,北小島にセグロアジサシとオオアジサシ,南小島にカツオドリが大群をなし生息している。久場島や魚釣島はかつてアホウドリ・クロアシアホウドリの繁殖地であったが,明治17年頃から始まった羽毛採集のための乱獲により,昭和初期には姿を消してしまった。また,シュウダが南小島と北小島に,そのほかにアカマダラ・トカゲや種々の昆虫類などが生息している。王府時代には中国福州と琉球の航路上にあり,航海の標識島として重要な位置にあった。「指南広義」や「中山伝信録」では釣魚台(魚釣島)・黄麻嶼(北小島)・黄尾嶼(久場島)・赤尾嶼(大正島)が針路として記されている。道光25年(1845)に来琉したサマラン号の艦長ベルチャーは尖閣諸島を探り,ピナクル島(Pinnacle Island)で天測を行った。ベルチャーはその航海記に「花瓶島(魚釣島),ピナクル島,ティアユース島を含むこの列島は三角形になっていて,花瓶島とティアユース島を結ぶ一辺は14マイルほどであり,花瓶島と南ピナクルの間は約2マイルある。この間にいくつかのリーフが横たわっている」と記している(サマラン号の航海記)。尖閣諸島は近世までどの国にも属していなかったが,明治28年に沖縄県所轄とする閣議決定で正式に日本領土に編入された。翌29年には八重山郡の管轄となり,同36年の土地整理で地籍も大浜間切登野城(とのしろ)村(現石垣市登野城)の地番となった。明治17年頃から福岡県出身の古賀辰四郎によって,魚釣島を中心に南小島や久場島で貝殻,グアノ(海鳥糞),アホウドリの羽毛などの採集と,鰹節の生産などが行われ,南小島や魚釣島では集落も形成され,同42年には248人の人口を抱え,俗に古賀村と称されていた。昭和7年には古賀善次に魚釣島・久場島・南小島・北小島が払い下げられた。第2次大戦後はアメリカ施政権下に置かれ,久場島と大正島は米軍の射爆撃場となっている。明治30年の旧帝国海軍省版の海図では釣魚嶼,ピナクル(尖頭あるいは尖閣)諸嶼,黄尾嶼と3つに区分され,全体を総称する名称は記されていない。同33年この諸島の調査探検にあたった黒岩恒が,「尖閣列島」と命名し(地学雑誌12‐140),以来尖閣列島と呼ばれるようになった。戦後は尖閣群島とも呼ばれたが,1970年代からは尖閣諸島と呼ぶようになった。尖閣諸島という名称は元来,北小島と南小島および北小島の北東方約4kmにある沖の南岩(面積0.01km(^2)・周囲0.42km),その北西方約3.5kmにある東西に並ぶ大小2つの岩礁からなる沖の北岩(西は面積0.05km(^2)・周囲0.81km,東は面積0.02km(^2)・周囲0.58km),および西方約3.5kmの飛瀬(面積0.02km(^2)・周囲0.39km)を指すもので,魚釣島・久場島・大正島を含めた島々は尖閣列島と呼ばれていた。昭和43年にECAFE(国連アジア極東経済委員会)が付近海底に豊富な石油資源・天然ガスが埋蔵している可能性が強いことを発表したため,一躍国際的に注目を集めるようになり,翌44年に台湾(中華民国)が領有権を主張し,同45年に同国国旗を立てた。同46年には中華人民共和国が領有権を主張し,領有権問題が表面化した。昭和53年には武装した中国漁船団が一時この諸島を占拠したため,沖縄本島や石垣島の漁民が周辺海域での操業ができなくなり,石垣市では同年5月に漁民大会も開かれるなど騒然となった。この領有権問題は,当事国間に意見の相違があり未解決のままである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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