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仲筋村
【なかすじむら】


旧国名:琉球

(近世)王府時代の村名。八重山島,はじめ川平(かびら)間切,崇禎元年(1628)からは宮良間切のうち。方言ではナカシィジィという。石垣島北西部,川平湾の東側に位置する。村落跡は標高9mの石灰岩平坦地にある。「両島絵図帳」には川平間切中筋村と見え,高20石余。しかし「八重山島年来記」には,順治8年(1651)の人口は桴海・平久保の2か村と合わせて73人と見え,仲筋村は康煕38年(1699)の村立てだが,村域が広く少人数なので猪垣の維持が難しく,仲筋(現川平小字仲筋)へ移したと記す(県史料前近代1)。小村で川平村の噯(あつかい)であったが,乾隆15年(1750)の人口は76で,東隣の桴海(ふかい)村と合わせて地頭持とすることを申請したが,同18年に仲筋村は川平村に近く往還も便利なので,従来通り川平村へ付けるよう指示された(参遣状/喜舎場家文書)。民謡「川平口説」には,川平村は村が南北にのびており,真謝と仲筋方面に渡って村の景色を眺めると,民の竈はにぎわっているとあり,川平村の一部として謡われている(口説歌謡1/歌謡大成Ⅳ)。「由来記」にネハラ御嶽・与那間御嶽の2御嶽が見えるが,ともに由緒は不明とする。なお,明治初年の「人頭税賦課基本台帳」では川平村と合わせて見え,布・石ともに上位(八重山博物館蔵新本家文書)。また「南嶋探験」には明治26年の戸数5と見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241226