名護
【なご】

旧国名:琉球
方言ではナグという。沖縄本島北部の西海岸,名護湾岸に位置する。「海東諸国紀」の琉球国之図に那五,嘉靖41年(1562)の「君誇欄干之記」に「那古」,「おもろさうし」に「なこ」,万暦25年(1597)の浦添城の前の碑では「なこ」「名護」と見える。また,「琉球薩摩往復文書案」所収の文書や,「琉球神道記」には「那呉」と記されている。「ペリー訪問記」にはナーグー(Naguh)とある。地名は,名護湾の穏やかな様子から和むにちなむとする説,名護城が立地する山腹の平坦地に早くから集落があったことによるという説,また干瀬のゴツゴツした岩礁によるという説などがある。沖縄考古編年後期の名護貝塚・アパヌク貝塚・溝原貝塚,グスク時代から近世のナングシク(名護城)遺跡群・大堂原西遺跡などがある。三山鼎立時代,名護城に居を構えた名護按司は,はじめ北山王に仕えたが,永楽14年(1416)尚巴志の中山軍が北山を攻めた際,名護按司は中山についている(中山世譜)。
【名護間切(近世)】 王府時代~明治41年の間切名。
【名護村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【名護村(近代)】 明治41年~大正13年の国頭郡の自治体名。
【名護町(近代)】 大正13年~昭和45年の国頭郡の自治体名。
【名護市(近代)】 昭和45年~現在の自治体名。
【名護(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241295 |




