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成屋村
【なりやむら】


旧国名:琉球

(近世)王府時代の村名。八重山島入表(いりおもて)間切のうち。方言ではナーレーという。西表(いりおもて)島の西部,内離(うちばなり)島の北端にある。「両島絵図帳」では,なりや村と見え,高25石余。祖納(そない)村より成屋村までは船路30町,成屋村から船浮村までは12町50間とある。崇禎元年(1628)の三間切制移行時の村の書上げには村名は見えず(八重山島年来記/県史料前近代1),大浜間切慶田城村に統轄されたと考えられる。「由来記」の成屋御嶽は慶田城村に記されており,乾隆2年(1737)の調査報告でも慶田城村に属し,人口30で,村廻り4町16間とある(参遣状/喜舎場家文書)。同33年慶田城村が西表村と改称したため,以後西表村のうちとなる。民謡「そんばれふし」には下原・成屋に生活する男女の婚姻の生態が描かれ,「まるまふんさんふし」では祖納村を中心とする村の名で見え,「そふすけま節」には成屋村・祖納村の村役人と女頭の人事とそれに対する批判が謡われている(八重山島歌節寄29・45・75/歌謡大成Ⅳ)。明治6年の戸数4・人口13。同18年三井物産が内離島の石炭採掘を開始。同26年にこの地を訪れた笹森儀助は,成屋村は,昔,舟浮湾南の海岸にあったが,高山のふもとで猪の害が甚だしく,現在地に移ったとの伝承を記している(南嶋探験)。内離島北側の東海岸沿いの標高2mの砂丘後背地に位置する成屋遺跡は,八重山考古編年第Ⅲ期に属し,八重山式土器・外来陶磁器・鉄製刀子・貝輪などが出土し,15~16世紀頃の集落跡と考えられている(県文化財調査報告書29)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241320