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南大東島
【みなみだいとうじま】


沖縄本島の東方,那覇(なは)港から海路約400kmの太平洋上に位置する大東諸島の1島。単にミナミジマともいう。およそ北緯25°50′,東経131°14′。大東諸島のうちで最大。1島で南大東村を構成。島名は,大東諸島の2つの有人島のなかで,南側に位置することによるといわれる。大東諸島の名は,沖縄本島東方海上に位置することから,ウフアガリ島(方言で大きな東の島の意)と呼ばれ,それに「大東」という漢字をあてたもの(島尻郡誌)。ペリーは咸豊3年(1853)6月22日に当時の海図に「Borodinos」と見える南大東島および北大東島を船上から確認し,サンゴ石灰岩の古い島で,海岸線には船の停泊地となるべき入江が見当たらないこと,無人島と思われることなどを記している(ペリー訪問記)。また,同治2年(1863)英国海軍水路部出版の海図には,南ボロヂノ島とある(大東島誌)。北大東島と約12kmを隔てて相対している。東西約6km・南北約7km・面積30.74km(^2)・周囲20.98kmの短楕円形をなし,最高標高も75.2mと比較的低平。隆起環礁であって,過去3回にわたって隆起したと考えられる。周囲は離水環礁の旧礁縁部と,海食崖やノッチなどの発達で,10mほどの急崖となっている。海食崖の内側には,無数の石灰岩の露頭が見られる環状の丘陵が続き,島の中央部は盆地状の低地となっている。低地にはドリーネや窪地が見られ,湿地帯となっていて,大池をはじめとする多くの沼池がある。土壌はテラロッサで保水性に乏しい。低平地の外縁には島の人々がハグ(幕)と呼ぶ急崖があり,幕の外側をハグウエ(幕上),内側をハグシタ(幕下)と称している。この島は古来沖縄の人々の間で「ウフアガリ島」「クバの葉の島」として伝説の中でその存在が言い伝えられてきた。嘉慶25年(1820),他の大東諸島の島々とともにボナフィデン大尉に発見されたが,発見後も長い間無人島で,難破船の乗組員などが幾度か漂着したにすぎなかった。明治18年内務卿山県有朋の命で探険のため13人がはじめて上陸し,「沖縄県管轄南大東島」と記された国標柱が建てられた。その後,開墾計画は何度か立てられたが,実際の開墾は明治33年八丈島(東京都)出身の玉置半右衛門の手による。開墾地ではサトウキビが栽培され,同36年から製糖が始まった。大正7年東洋製糖の製糖工場竣工,昭和2年から第2次大戦終了までは大日本製糖の手でプランテーション的経営が行われ,島民が自治を得たのは,昭和21年に村制が施行されてからのことである。また,開拓当初以来島民の懸案であった土地(耕地)取得問題も,同39年に解決し,ようやく小作農から自作農になった。現在も島の基幹産業はサトウキビ単作農業で,農家1戸当たりの経営耕地面積約8haは県下最大である。農業の基盤整備も順調に進み,機械化農業が進展し,農家1世帯当たりの平均所得も県下で北大東島とともに最も多い。昭和58年まで軽便鉄道が島内を走り,サトウキビを運搬していたが,現在はトラックにかわった。島内には南大東島特有の動植物が数多く見られ,ダイトウオオコウモリ,大池のオヒルギ群落,南大東島東海岸植物群落は国天然記念物に指定されている。県都那覇とは空路1時間30分(日1~2便),海路17時間(週1便,不定期)で結ばれているが,海岸線に急崖が続くため良港に恵まれず,船便の発着も天候に左右されやすい。港湾の整備が待たれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241812