銘苅
【めかる】

旧国名:琉球
方言ではミカルという。沖縄本島南部,天久(あめく)台地上に位置する。成化2年(1466)尚徳王が喜界島(鹿児島県)を征討して泊に帰着した際,清水を献上して褒賞された呉姓1世宗重の妻は,泊大阿母潮花司に任じられ,「浦添間切名嘉
邑」に高4石余の地を賜ったとある(呉姓大宗家譜/那覇市史資料1‐8)。伊是名(いぜな)島銘苅親雲上の由来記では,尚円王金丸の叔父が真和志(まわし)間切銘苅の地頭になったという(女官御双紙)。
【めかる村(近世)】 王府時代の村名。
【銘苅(近代)】 第2次大戦後~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241876 |




