100辞書・辞典一括検索

JLogos

46

野辺地町(近代)


 明治30~現在の上北郡の自治体名。村制時の3大字を継承。明治30年の人口7,603。役場を野辺地字野辺地に置いた。同32年野村治三郎により野村銀行開設。同年野辺地~狩場沢駅(現平内【ひらない】町)間に鉄道防雪林が植えられた。世帯数・人口は,大正9年1,775・1万240,昭和15年2,328・1万2,975,同55年5,494・1万8,432。大正9年野辺地警察署改築,同11年盛岡銀行野辺地支店が開設。大正10年国鉄大湊線が開通。昭和6年野辺地スキー場シャンツェ開場式が愛宕公園スキー場で開かれた。同10年の電話加入数104戸。明治41年野辺地尋常高等小学校が男女別学となり,男子校は城内に女子校は新町に分かれたが昭和20年合併して同22年野辺地小学校と改称,同30年新たに若葉小学校が町域の北に開校した。昭和22年野辺地中学校,同26年有戸中学校,同28年馬門中学校が開校,昭和41年野辺地中学校が有戸中学校・馬門中学校を併合し同43年新校舎が落成した。大正6年開校の町立野辺地女子実業補習学校は,昭和4年町立実科高等女学校となり,昭和23年には大正15年開校の県立野辺地中学校と合併し,県立野辺地高校となった。昭和19年青森に開校した青森青年師範学校は翌20年野辺地町に移り,同24年弘前大学教育学部野辺地分校となり,同41年弘前大学に合併し弘前に移った。昭和38年下北バス大畑~青森間が開通して町内を通り,また十和田観光電鉄野辺地~青森間の直通バスも開通した。同43年南部縦貫鉄道が野辺地駅まで乗入れた。同54年町民憲章を制定。むつ小川原開発公社は昭和46年社屋を野辺地町に設置。国営北部上北大規模機械開墾が六ケ所村・横浜村・東北町・野辺地町にわたり,開田720ha・開畑6,394haと計画され中心が野辺地町に置かれた。同51年3大字を廃し,101の字が設けられた。以後,旧大字名は野辺地町の通称地名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7252028