石坂柵(古代)

平安期に見える城柵名磐井郡のうち前九年の役,安倍氏が拠った城柵の1つ「陸奥話記」によると,小松柵がおちても,安倍貞任・宗任たちは,本拠衣川関を死守するために,その前面の防衛に全力をあげたその拠点として,高梨宿とともに石坂柵の名があげられている清原武則らの夜襲により,両城ともおちいり,衣川関攻防戦となるその位置は,一関市山目・赤荻【あこおぎ】高梨宿にすぐ近接していたと思われる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7252902 |
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平安期に見える城柵名磐井郡のうち前九年の役,安倍氏が拠った城柵の1つ「陸奥話記」によると,小松柵がおちても,安倍貞任・宗任たちは,本拠衣川関を死守するために,その前面の防衛に全力をあげたその拠点として,高梨宿とともに石坂柵の名があげられている清原武則らの夜襲により,両城ともおちいり,衣川関攻防戦となるその位置は,一関市山目・赤荻【あこおぎ】高梨宿にすぐ近接していたと思われる
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