織笠(中世)

戦国武士織笠氏の本拠地。閉伊【へい】郡のうち。織笠氏の始祖は福士庄次郎保定。室町期の永享11年鎌倉に功あり,南部義政より山田・飯岡・大沢・織笠の4村を給されたのがその始まりという(系胤譜考)。あるいはまた,戦国期天正のころ,岩手郡不来方【こずかた】より来住の福士五郎が轟木・織笠両村を統治したともいう(下閉伊郡志)。天正19年九戸合戦に際し,織笠左京助が南部方として出陣している(同年3月5日南部信直書状/県戦国期文書1)。福士氏系譜は県史3-263頁。曹洞宗松巌山竜泉寺は永享11年の創建,胆沢【いさわ】郡永岡永徳寺の天山和尚の開山,立神の館主福士左馬亮保定の開基と伝える。第10代福士盛定の慶長年間,南部氏に征服され,檀那を失い,また,野火のため伽藍を焼失したという(同前)。織笠館は霊堂集落背後の河岸段丘上にある。空濠で仕切られた3つの郭からなり,帯郭・大手口も残る。立神館とも称す。福士庄次郎保定の築城という。300m×430m。標高50m(城郭大系2)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7253311 |