釘子村(中世)

戦国期に見える村名。岩井郡のうち。元亀2年7月1日,千葉飛騨守に与えた葛西晴信宛行状に,「岩井郡北小梨村ニテ七千苅,釘子村ニテ五千苅,金田村ニテ一万苅」と見える(高田本称寺文書)。なお,大永~天文年間頃の成立とみられる葛西奉加帳に,「弐百文〈久木子〉平清親一弐百文〈久木子〉平宗枝一」と見える(熊野速玉神社文書)。地内には葛西氏家臣,笹町氏の居城と伝える笹町城(牛舞城・西館)跡,同じく葛西氏家臣,柴股氏の居城と伝える柴股城(釘子本丸・要害館・東館・柴山城)跡がある。笹町城跡は大泉寺北方の巨大な丘一帯。丘北部の最高所,東西100m・南北50mの平場が本丸。本丸北辺に土塁,その下に空濠,さらにその下は崖となり,北に対する防備がかたい。本丸の南方に幾段かの土壇が続き,全体の規模は東西250m・南北300m,比高50m(仙台領古城館)。柴股城跡は宿集落の北方,東西300m・南北250m,比高40mの広大な丘一帯が城跡。丘は3つに大別され,中心部最高所の広場が本丸か。その周囲は切り立った断崖となり,その下に深空濠(内濠)を置く。特に北面の空濠遺構は壮観。二の丸は南面の丘。今は新道建設で二分された。三の丸は北面の丘。三の丸周囲には数段の土壇が配置されている。柴股城跡は壮大かつ中世遺構がよく残っており,一見に価する(同前)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7253583 |