伊具郡

近世伊達氏は仙南に一門の大族を配した。白石には片倉氏1万8,000石,角田【かくだ】2万3,000石・石川氏,亘理2万3,000石・伊達氏などである。これは,伊達氏が年来,仙道・海道を敵として戦ってきたことによるもので,白石は蒲生・上杉氏以来の備え,角田・亘理は,戦国期南奥においてただ1人,屈服せしめることのできなかった相馬に備えたものである。相馬氏は6万石の本城を小高(福島県相馬郡)から逆に伊達の国境に近い中村(福島県相馬市)に進め,伊達といつでも決戦をする覚悟の藩体制をとっていた。伊達氏もこれに備える布陣をしたのである。近世伊具郡は一円仙台藩領である。正徳2年の伊達氏領知目録によれば,伊具郡一円36か村,高2万6,534石8斗1升であった。天保5年の郷高では,この拝領高に1万515石9升が新田高として加わっている。阿武隈川の開いた沖積盆地によって郡をなしている伊具郡は,かなりの新田開発が可能だったのである。「天保郷帳」で3万9,442石余。伊具郡では,角田と金山が角田本郷・金山本郷を称した。郡奉行区は南部奉行区に属し,伊具・宇多(現福島県)・亘理3郡が1代官区を形成,伊具郡が金山に,亘理郡が亘理に代官所を置いた。近世後期「封内風土記」に見える郡況の概要は次のごとくである。東西35里・南北45里。ほぼ円形に仙南,南に山,北に開いて地を占める。田品中の中。田積2,583町9段5畝,畑2,858町4段1畝。阿武隈川によって郡城を両分し,河東十三邑を東根,河西二十三邑を西根と称する。戸数2,875,人口1万8,614(うち男1万509・女8,105),馬1,927。公族石川大和家中家僕の在郷者2,687。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7255339 |