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寄磯浜(近世)


 江戸期~明治22年の村名。牡鹿郡遠嶋十八成【くくなり】組大肝煎扱のうち。江戸期を通して藩蔵入地。元禄期の村の状況は「牡鹿郡万御改書上」によれば,村高3石余(元禄郷帳では2石余),海上高53石余,人頭17,人数251(うち男153・女98),寄磯在家東西1丁40間・南北20間。村寺は曹洞宗大慈山宗徳寺,浦宿浜(現女川【おながわ】町)正(照)源寺末。「安永風土記」によると,村高は田代94文・畑代439文で計533文,海上高3貫余。人頭は寛永検地の竿答百姓17から49(うち寺1),家数49・人数295(うち男165・女130)・舟71(うち大かっこ舟1・さっぱ舟19・かっこ舟48・小船2・五太木舟1)。村寺は曹洞宗大慈山宗徳寺,神社は熊野権現社など9社。早崎より東北に臨む二又(股)島を寄磯浜と江ノ嶋の入会島にしていた。鮫ノ浦・塚浜への通路を椵松坂(長2丁),塚浜への通路をなら浜坂(長2丁),鮫浦【さめのうら】への通路を小かま坂(長6丁)という。産物は干海苔・茶せん苔・松も海苔。「天保郷帳」の村高5石余。明治6年寄磯小学校が熊野神社行屋を仮校舎として開校。同13年火災のため前網鈴木清之助宅,のち寄磯鈴木六右衛門宅を仮教室とする。同14年校舎新築,同15年寄磯中等小学校と改称。鮫浦・谷川・泊・新山に支校を置く。同19年寄磯尋常小学校と改称。明治元年高崎藩取締地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年牡鹿郡大原村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7257864