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羽陰(近世〜近代)


出羽国北半部の雅名「柞山峯之嵐」に「羽州は日本国東北面の一巨州也領郡十二,南を羽陽,北を羽陰といふ所謂最上郡・村山郡・置賜郡・飽海郡・田川郡・由利郡の六郡は羽陽の地なり秋田郡・川辺郡・山本郡・仙北郡・平鹿郡・雄勝郡は羽陰の地にして秋田六郡と云ふ羽陰秋田の地,西京を去る事千五百里,北の方靺鞨を距ること遠からず地僻にして寒多焉」とある本書の延享元年9月付自序にも「羽陰東西南北の端,山野幽谷の土地へも旅行なす任職」にあると記した著者岡見知愛は秋田藩境目奉行であったこれより半世紀も前に元禄の藩庁史家中村光得によって「羽陰史略」の書名が行われているから,このような地域区分は近世初頭以来漢学の素養深い文人によって用いられていたと認められる文化年代の人見蕉雨の著作「秋田紀麗」も一名を「羽陰風雅」と称したし,その蕉雨の著「黒甜瑣語」巻之二にも「出羽十二郡」「羽陰六郡」の区分呼称がある明治以後にも近藤源八編著の秋田県の地誌「羽陰温故誌」(明治中期)や深沢多市「羽陰詩家小伝」(大正2),升屋勝蔵「羽陰諸家人名録」(大正3)などと用いられ,東山三太郎にも「羽陰画家」という著述があり,秋田図書館所蔵東山文庫の中には「羽陰景勝詞」「羽陰古社略縁起抜萃」「羽陰詩遷」「羽陰諸家印譜」「羽陰秘録」「羽陰名家詩文集」などがあり,おおむね「秋田」の意味に用いられているなお「正保四丁亥年出羽十二郡絵図」を「羽陰十二郡絵図」(秋田県史)のように称したものもあるが妥当でない




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7258296