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戸蒔郷(中世)


 鎌倉期から見える郷村および城館名。出羽国山本郡のうち。金沢【かねざわ】の八幡神社所蔵大般若経奥書に,正和元年10月「大檀那十巻住人沙弥尼明心」とあるのが初見。戸蒔城址がある。領主戸蒔氏は,甲斐源氏武田氏の末流と伝えられ,室町後期~戦国期にはかなりの所領を有していた。この時期の戸蒔氏分領図写がある(大曲の歴史)。戦国末期には戸沢氏の被官となる。(天正10年)7月5日付戸蒔中務少輔宛て武藤義氏書状(藩採集秋田小介川家文書)では戸蒔氏はかなり独立的存在。ほかに戸蒔右京亮(新庄戸蒔氏文書),戸沢氏から荒川城主として派遣された戸蒔越中守光祐・同市正(戸沢家譜),戸蒔甲斐守勝実(秋田沿革史)などの人名が知られる。戸蒔城は戸沢支城として天正18年に廃城(戸沢家譜)。文禄3年「中郡村々書上写」では,戸蒔氏は天正18年太閤検地により,本領のうち1,789石の当知行を安堵,670石を太閤蔵入地に設定。本領安堵を受けた中に「戸蒔本郷」(坊・中今・法長【ほなが】の3か村を含む)350石とある(湊家文書)。坊は保谷【ほうや】,中今は中之窪【なかのくぼ】付近とみられ,法長(穂長)村は近世には東川村の枝郷となる。慶長7年戸蒔氏は戸沢氏の常陸転封に同行。城址には一時雀田茂兵衛が居住したという(月の出羽路)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260200