窪田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。菊多郡のうち。はじめ磐城平藩領,元和8年窪田藩領,貞享元年幕府領,寛保2年からは棚倉藩分領。村高は,文禄4年の検地目録(いわき市史)では1,328石余,「天保郷帳」では1,809石余とあるが,天保7年の松平康爵領村高および「旧高旧領」ともに1,775石余。元和8年内藤政長が磐城平へ入部の際,その姻族土方雄重は旧領加賀国野々市【ののいち】(現石川県)1万石と窪田の地に新封1万石を与えられ,窪田の地に2万石の窪田藩を立藩し,現在の字窪田伊賀屋敷に居館を構えた。以来窪田は当地方の政治・経済・文化の中心地として栄えた。窪田藩は貞享元年3代雄隆【かつたか】の時収公され,その所領地は幕府領となり,館跡に窪田代官所が設けられ,寛保2年からは棚倉藩窪田陣屋が明治まで置かれた。窪田村は関田村とともに浜街道の宿駅としても栄えた。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。明治12年菊多郡に属し,同22年窪田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7267328 |