高浜村(近世)

江戸期~明治22年の村名。常陸国新治【にいはり】郡のうち。はじめ佐竹氏領,慶長7年府中藩領,元和元年幕府領,寛永3年旗本皆川氏知行,天保4年幕府領を経て,元禄11年からは旗本彦坂氏・土屋氏・松平氏・小野氏の相給。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに275石余,「旧高簿」276石余。元禄11年の反別は田17町余・畑12町余。人数558,百姓家数122,馬50,舟22(村指出帳)。村の規模は,東西12町・南北14町,寺社は天台宗花蔵院・常光院・西光寺(いずれも現在廃寺),ほかに同宗高淵寺・神宮寺,高浜神社・大杉明神・金毘羅権現・天満天神がある(新編常陸)。高浜神社は律令期に国司が鹿島遙拝式の直会【なおらい】の青屋祭りを行った地に創建されたという。金毘羅権現は舟運業者の信仰を集めた。高浜河岸は霞ケ浦・利根川水運の起点で,笹久などの廻船問屋が軒を並べていた。享保年間今泉家は醤油醸造を,文久年間は広瀬家が清酒「白菊」の醸造をそれぞれ始めた。著名人に鬼沢大海・鬼沢小蘭がいた。鬼沢大海は本居大平に国学・和歌を学び,笠間藩主牧野氏の侍講となり,「緑舎集【みどりのやしゆう】」「鹿島立」などの著書がある。小蘭女史は日本画にすぐれ,石岡出身の洋画家熊岡美彦の師であった。明治6年高浜小学校開校,校長は山岡鉄舟の兄小野古風。同8年茨城県,同11年新治郡に所属。「共武政表」によれば,戸数144・人口835,物産は酒・海老・鯉・鮒・製茶・実綿・馬12・船舶88。明治22年高浜町の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7274812 |