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右籾村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。常陸国信太【しだ】郡のうち。土浦藩領。村高は,「元禄郷帳」545石余,「天保郷帳」697石余,「旧高簿」687石余。「県方集覧」によれば慶安3年の検地と見え高672石余,小物成に御林下草銭・百姓山銭があり,池1,用水堰1,百姓山2,三昧3,庵1,寺社は真言宗福聚院・東前坊・宝蔵院・泉蔵院,明神社・八幡社・天神社・弁才天社など。享保年間の馬45。延享4年摩利山新田が成立し,のち一時荒廃したが,明治3年再開発されその頃に当村から分村したとみられる。中村宿の定助郷を勤め,天保4年の勤高は545石余(土浦市史編集資料)。当村は小岩田村ほか5か村とともに野銭を支払い荒川村ほか2か村の入会野で草刈りをするほか,烏山村との入会野でも草刈りをしていたが,貞享2年~元禄2年には荒川村ほか8か村が烏山村との入会野境を侵したため争論が生じた(土浦市史)。明治8年茨城県,同11年信太郡に所属。明治22年東村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7276773