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湊(中世)


 南北朝期から見える地名。常陸国吉田郡のうち。那珂湊ともいう。水戸市六地蔵寺所蔵の聖教奥書に「文和四年十一月廿六日,常州吉田郡那珂湊書写之」「文和五年卯月二日,於那珂湊柏原普観寺書写之」とあり,岩手県宮古市長根寺旧蔵の大般若経写経奥書にも,文和5年「常州吉田郡那珂湊」と見える(写真集那珂湊市史)。六地蔵寺の僧恵範(心車)は享禄4年11月28日に「那珂湊補陀洛渡海記」を著わしている(お茶の水図書館蔵)。常北町小松寺所蔵の宥待授宥阿印信に「文安弐年乙丑八月廿一日,於湊華蔵院道場」と見える(小松寺文書/県史料中世Ⅱ)。花蔵院は,江戸期には醍醐寺無量寿院の末寺であり(新編常陸),「堯雅僧正関東下向記録」の永禄3年6月10日条に「〈同(常陸)国〉於湊花蔵院印可」,元亀3年7月22日条にも「湊花蔵院見舞云々」と見える(三宝院文書/結城市史)。なお,康永元年8月15日の鹿島利氏本知行分注文によれば,「同(常陸)国戸田野郷給主職浦津浜湊河海等」が某出羽権守に押領されている(無量寿寺文書/後鑑)。浦津浜湊とは旧湊村から平磯・前浜にかけてのあたりと推定され(地名辞書),当地は古くから当地方の有力な港として発展していたと推定される。文禄3年の太閤検地を機に那珂郡に属す。同5年の蔵納帳(秋田県立秋田図書館蔵)によれば,当地は2,113石3斗6升を算出し,佐竹氏の蔵入地として真崎彦六に預け置かれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7276827