安蘇郡

「慶安郷帳」によれば,村数62,寺社領3,高6万1,752石余,うち田2万952石余・畑3万7,818石余・新田314石余。「元禄郷帳」によれば,村数64,高6万2,835石余,「天保郷帳」では,村数64,高6万5,725石余と漸増している。天正18年以降,佐野に佐野信吉が入城したが,慶長19年改易,幕府領となった。元和2年には小山城の本多正純が加増されて佐野まで所領を拡げた。本多正純は元和5年に居城を宇都宮へ移したが,佐野の所領はそのまま継続した。元和8年に正純が改易されると,その所領は幕府領・旗本領・大名領に細分されたが,寛永元年には稲葉正勝の所領が生まれ,稲葉領が駿河国に移ったあとに,寛永10年から,彦根藩井伊氏と古河藩土井氏の所領が生まれた。さらに寛文元年に徳川綱吉の入部した館林藩領ができた。「寛文印知集」によれば,古河藩領24か村・1万8,479石余,彦根藩領15か村・1万7,693石余のほか,鹿沼藩(内田氏)領2か村・1,026石余,若狭国小浜藩(酒井氏)領5か村・5,482石があり,さらに館林藩領13か村・1万2,050石余があった。このうち館林藩領は天和2年廃藩となり,所領は旗本領に分割された。南部の天明宿・犬伏宿を例幣使街道が通過し,渡良瀬川の支流の秋山川に馬門・越名の河岸があり,舟運によって江戸へ通じた。中世以来の伝統を誇る天明鋳物が盛んに製造され,特産品となった。「旧高旧領」によると,維新期には,高6万4,240石余,村数64,うち相給村27(42.2%)。領知高の割合は,大名領が58.5%・旗本領が39.8%・寺社領1.7%・幕府領が0.1%。明治4年栃木県に所属。同9年一部が都賀郡に,都賀郡の一部が当郡に編入された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7277558 |