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荒萩村(近世)


 江戸期~明治7年の村名。梁田郡のうち。はじめ幕府領,寛文元年上野館林藩領,のち幕府領,元禄11年旗本本庄氏知行,宝永2年本庄氏が大名に列せられて美濃岩滝藩領となり,同6年岩滝藩は高富藩と改称。村高は,「慶安郷帳」297石余(田177石余・畑109石余),「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」でも297石余。「改革組合村」では簗田・八木宿組合寄場に属し,天保年間の家数41。寺社は,上野国木戸村常楽寺末の真言宗薬王山普門院万長寺,赤城神社など。万長寺境内には薬師堂と地蔵堂がある。享保14年「八木梁田両宿之人馬助郷高」によれば,例幣使街道八木・梁田両宿の助郷を勤め,助郷高133石(近代足利市史)。用水は久保田村・野田村・日向村とともに久保田堰組合を結成し,渡良瀬川市場堰から引水する(館林領五郡農家水配鑑)。文久元年「郡中質屋帳面取調帳」では質屋2名が見える(県史近世5)。弘化年間の割元名主は川島良助,享保年間の名主は与左衛門。高富藩の代官屋敷(中館)跡がある。明治4年栃木県に所属。同6年万長寺を仮校舎として久保田村立正舎の分校が開かれた。明治7年瑞穂野村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277605