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百頭村(近世)


 江戸期~明治7年の村名。梁田郡のうち。寛文元年上野館林藩領,のち幕府領,元禄11年旗本本庄氏知行,宝永2年本庄氏が大名に列せられて美濃岩滝藩領となり,同6年高富藩と改称。村高は,「慶安郷帳」368石余(田202石余・畑165石余),「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに546石余。「改革組合村」では簗田・八木宿組合寄場に属す。地内には神明神社がある。助郷は,享保14年「八木梁田両宿之人馬助郷高」によれば,例幣使街道八木・梁田両宿に出役し,助郷高267石余(近代足利市史)。天保年間の家数28(改革組合村)。用水は,当村ほか11か村で市場堰組合を結成して,渡良瀬川の市場堰から引水し,潅漑面積は田20町5反余(館林領五郡農家水配鑑)。文久元年水不足により当村と羽刈・小曽根・県・高松村の5か村の間で水論が起きている(近代足利市史)。名主は享保年間に儀右衛門,天明年間に治郎右衛門,寛政年間に吉右衛門,弘化年間に牧太,元治年間に冨右衛門・友蔵が勤めた(同前)。明治4年栃木県に所属。明治7年高富村の一部となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7280983