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大八木(近代)


 明治22年~昭和30年の中川村の大字名。明治22年の戸数124・人口666。同24年の戸数100,人口は男346・女362,水車場2。ほとんどが農業に従事し,養蚕業が盛んである。養蚕農家は明治30年小八木に設立された碓氷社中川組合に加入。三国街道には明治26年設立の群馬馬車鉄道による馬車鉄道が高崎~渋川間を走り,同40年に電気軌道となった。経営も翌41年に高崎水力電気,大正10年に東京電力,昭和2年からは東武鉄道の経営となり,昭和28年まで存続。昭和初年からは昭和自動車による乗合バスが並行して走り,経営が東武鉄道に移ると路線も渋川のほか伊香保・四万・金古と広がり,交通の便が増した(中川村誌)。諏訪社境内には,明治42年西園寺公望題額の「上毛群馬郡中川村聖蹟」碑が建てられ,同社参道には明治24年多野郡新町より常夜灯が購入された。この常夜灯は文化12年中山道新町宿の神流川岸に建てられた見通し灯籠で,書は詩仏,国学者田口秋因の歌「灯の光にさすか行かへのひとよ夜な夜な迷はすもかな」が刻まれている。第2次大戦後,米・麦のほか養蚕に酪農・緬羊飼育が行われている。昭和27年天理教上州分教会が設立される。同30年高崎市の町名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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