利根郡

天正18年徳川家康の関東入部により,沼田城には真田信幸が封じられた。「寛文郷帳」によると,郡内全域が沼田藩領となっている。真田氏は磔茂左衛門の話を生んだ苛政により,天和元年改易され,当郡は幕府領となったが,元禄16年本多氏が沼田に入り,城が再築されて以後はほぼ沼田藩領に復した。残余は旗本領・幕府領などが錯綜。石高・村数は,「寛文郷帳」では1万8,223石余,ほかに寺領1か所50石で,95か村,「元禄郷帳」では3万758石余・117か村,「天保郷帳」では3万899石余・117か村,「旧高旧領」では3万814石余・116か村。明治5年の大区小区制下では,第18・19両大区に106か町村が所属した。なお「寛文郷帳」では石高のうち田方4,210石余・畑方1万4,013石余で,田はわずか23.1%を占めるにすぎない山間畑作地帯であった。産業は蚕糸業・林業が盛んであり,木材は筏に組んで利根川や片品川を流され,江戸へ運漕された。この筏流しの必要上,両川筋には銚子や後閑などの筏河岸が成立した。また炭焼きも盛んであった。元禄年間以後には沼田煙草の名が著名になっている。なお明治10年の農産物は米8万7,216円・麦4万1,271円・大豆3万4,544円・粟1万6,756円・稗1万654円・繭11万440円・生糸8,867円・葉煙草1万678円(全国農産表)。同10年の戸数8,271・人口3万1,686。主要街道は三国街道・会津道・沼田街道。三国街道は高崎で中山道から分かれて北上し,中山を経て吾妻郡との郡境を進み猿ケ京に関所が設置された。また会津道は,沼田から戸倉を経て尾瀬沼から陸奥に入り,沼田藩にとって三国街道と並ぶ重要な道となっていた。戸倉には関所が設置されており,慶応4年官軍と会津軍とが戸倉で戦った。また同年には渋川周辺の打毀が北上して沼田周辺に広まっている。なお郡域には谷川・宝川・湯檜曽・川場・老神・東小川・須川など多くの温泉があり,真田氏時代から知られていた。明治4年7月岩鼻県,同4年7月沼田県,同年10月群馬県となり,同6年6月熊谷県,同9年8月群馬県に所属。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7283703 |