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長岡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。群馬郡のうち。はじめ高崎藩領,のち幕府領を経て旗本山田氏・長谷川氏・京極氏の3給となる。村高は,「寛文郷帳」で570石余うち田方326石余・畑方244石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに570石余。安政2年の渋川村組合村柄書上帳(堀口家文書/県史資料編13)によれば,家数67,人数は男116・女121,馬15で,うち山田氏領分の家数23,人数は男44・女45,馬5,長谷川氏領分の家数23,人数は男38・女41,馬5,京極氏領分の家数21,人数は男36・女35,馬5,寺院には天台宗東光寺・真言宗蓮花寺があり,農間稼は男が山稼,女が苧機稼とある。また幕末の改革組合村高帳でも渋川村寄場組合に属し,高570石余,家数78。なお当地に残る伝えでは,長岡の地名は現吉岡町を含む利根川東一帯に及ぶ広い地域をさしたといわれ,江戸期に桃井領13か村とよばれた村々のなかには,「郡村誌」で古くは長岡郷に属したと記す村々が多い。また当村の鎮守は小泊瀬鸛鷯命を祀る大宮神社であるが,社伝ではかつて桃井領13か村の総鎮守であったといい,北方にある字西帝は古代の群馬郡衙跡とする説もある。「上野国神名帳」に見える正三位宮姫明神と推定する説もある。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県西群馬郡に所属。「郡村誌」によれば,村の東西1,225間・南北595間,税地は田31町余・畑86町5反余,改正反別で田29町8反余・畑70町余・宅地11町8反余・山林雑種地92町7反余,戸数130・人口668(男349・女319),馬30。明治21年の「名称区域」では,田29町7反・畑70町8反・宅地12町3反余・山林89町7反余・原野1反余などで合計224町5反余,戸数141・人口818。同22年桃井村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283785