向古河村(近世)

江戸期~明治22年の村名。埼玉郡古河川辺領のうち。古くは北方郷太田荘に属したという。下総古河藩領。村名の初見は慶長5年5月5日の鴻巣【こうのす】御所足利義氏女の証状で「むかいこか」と見える。村高は「田園簿」で546石余,「天保郷帳」で760石余。検地は寛文4年土井大炊頭。鎮守は鷲明神社,ほかに文明年間古河城鎮護のために勧請されたと伝える天神社ほか3座。寺院は新義真言宗真光寺で,もと当山派修験の寺であったという。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数102・人口517,馬8,渡船3(馬渡船1・歩行船2)・漁船17・水害予備船19・耕作船13。物産は米・大豆・小豆・綿・白木綿・木綿糸など。米は館林【たてばやし】(群馬県)や古河(茨城県)方面に出荷。同12年北埼玉郡に所属。明治22年川辺村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7290604 |