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渡瀬村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。児玉【こだま】郡のうち。古くは渡瀬郷若泉荘に属したという。文禄3年4月2日の検地帳には「武州渡瀬郷」,また慶長3年4月19日の検地帳には「武州秩父之内渡瀬之郷」と見え,幕初の頃は秩父【ちちぶ】郡に属し,渡瀬郷と称していたとみられる。村名としては「田園簿」が初見。はじめ幕府領,寛文12年上野【こうずけ】前橋藩領,天和2年幕府領,享保17年常陸下館藩領,のち上総久留里藩領。検地は文禄3年・慶長3年。村高は「田園簿」では458石余,以後ほぼ変わらず。村の規模は東西20町・南北22町余。用水は溜池を使用。村内を秩父【ちちぶ】から上野国(群馬県)に至る脇往還が通り,馬継ぎ場として街道沿いに人家が並び,また神流川の渡船場としてにぎわった。化政期の家数196軒。村の東方に行徳山という秣場があった。名主は桜沢家で,検地帳と近世文書を所持。なお当地には慶長年間に浪人山口平之進が創建した善明寺があり,キリシタン活動の拠点となっていた。のちに幕府の弾圧を受け,平之進らは処刑され善明寺も取りつぶされた。また,明暦2年にキリシタンの摘発が行われ,6名の逮捕者を出した(契利斯督記)。享保20年には「渡瀬村古切支丹類族死失之覚」が提出され(桜沢家・戒蔵寺文書)。この時期にはキリシタンが根絶されていたことがわかる。鎮守は木宮明神社。神社は御嶽山の権現社のほか10余社。寺院は本山派修験御嶽山別当法楽寺・天台宗金剛山竜宝寺・同神流山戒蔵寺・当山派修験観音院など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数156・人口651,馬14・渡船2。竜宝寺に公立小学校の渡瀬学校があり生徒数72。物産は米・麦のほか大豆・小豆・コウゾ・蚕卵紙・繭・生糸・生絹・生太織。明治12年児玉郡に所属。同22年若泉村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7291010