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海上郡


天正の検地で「和名抄」の大倉・城上・麻続・布方・軽部・神代・編玉・小野・石田の9郷に相当する地域が香取郡に編入された(海上郡誌)。これは中世の東荘・木内荘・松沢荘などにあたる。また江戸前期までに匝瑳【そうさ】郡東部の一部が当郡に入る(稿本県誌)など郡域が変動したが,元禄年間までに確定されたと思われる。天正18年徳川家康の関東移封にともない,蘆戸1万石に木曽義利が配されたが,慶長5年除封。村数・石高は,「元禄郷帳」69か村・2万4,767石余,「天保郷帳」71か村・2万6,732石余,「旧高旧領」71か村(69か村・2か所)・2万6,873石余。郡内の諸藩領は,「寛文朱印留」では下野鹿沼藩2か村・321石余,「旧高旧領」では佐倉藩2か村・315石余,生実【おゆみ】藩1か村・118石余,小見川藩1か村・190石余,上野高崎藩17か村・6,092石余,上野安中藩4か村・4,225石余。当郡ではこれら諸藩領のほか幕府領・旗本領・与力給知が混在し,その占める割合も高い。海上・匝瑳・香取の3郡にまたがる椿海が干拓され,元禄8年の検地によって郡内では琴田・高生・大間手・長尾・清滝・幾世の6か村が成立。銚子・飯岡などの漁業は,文禄・慶長年間頃から同地方へ来た紀伊国の人々により発達し始め,寛永年間には同国から集団で漁業にやってきたという(銚子市史)。承応3年利根川・江戸川が通じると江戸への物資輸送には高瀬船が使用され(飯岡町史),寛文年間には利根川水運はいっそう盛んとなって東北地方諸藩の廻米や銚子での漁獲物の輸送に利用された(銚子市史)。陸路には銚子から飯岡を経て八日市場へ向かう銚子街道があり,飯岡での漁獲物輸送などに利用された。明治2年新政府が五人組を廃して伍長什長制の施行を布告すると横根村・下永井村・飯岡村・行内村・平松村の浜方は村役人を浜方からも選出するよう求めて岡方と対立する岡浜騒動が起こり,同7年司法省の判決で決着をみた(飯岡町史)。明治7年利根川に汽船が運航され,銚子・飯岡の漁獲物輸送に便利となった(海上郡誌)。廃藩置県を経て明治4年11月新治【にいはり】県,同6年からは千葉県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7292512